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偽善。人聞きの良い言葉ではありませんが、僕は好きです。当たり障りのない人間関係を保っていくのに偽善と愛想笑いは不可欠。
適当に笑顔を作っておけば意外と人は簡単に騙されます。 世の中に溢れる偽善、偽善、ギゼン…あっちもこっちもギゼンギゼンキゼンギ前戯… 前戯。僕は大好きです。当たり障りのないピストン運動をする上で不可欠。 適当に笑顔を作ったって、女は騙せません。 …こんなアホなこと考えてた朝の自分が今はバカバカしくて仕方ありません。 世界史の時間に『映像の世紀~民族の悲劇果てしなく~』というNHKの番組をビデオで見ました。 あまりにもリアルな“殺し合い”の映像。 人が、人を殺す映像。そこに見えるのは小さな心と大きなエゴ。 所詮ちっぽけな人間の心。大きな圧力に巻かれ、平気で人を撃ち抜きます。 でも、それだけではない気がしました。 機関銃を手に取り応戦する市民の姿から感じたのは死の恐れとかそういったものだけではなく、それ以上に“本能”と“生”。 人に動かされ命令に従って已むなく戦っているようには見えない、まるで人間のもう1つの姿のような。 人には争い血を好む動物としての本能がありその為に幾千年の間戦や虐殺を繰り返して来たのカ?とさえ感じてしまう映像でした。沸点に達した怒り、自尊心の傷つきにやストレスによって芽生える殺意。誰に教えられたわけでもなく湧き出る感情。「殺してやる。」 石で人を殴り殺した大昔の先祖のDNA、弓で敵軍の兵を射った先祖のDNA、人目を盗んで毒を盛った先祖のDNA…それらが確実に今を生きる人間にも伝わっているのは事実です。俺にだって連続殺人を犯したような凶悪犯の血が混ざっているかも知れない。ふと何かの弾みで一線を越え、人を殺してしまう可能性が無いとは言い切れない。 道徳心と本能の狭間のせめぎ合い。 僕に実感出来るのは学校の教室で平和にのんびりとくだらない時間を過ごしているだけの日常。部屋でアイス食って、音楽聞きながら寝て、ネットサーフィンで暇潰しをする日常。 世界にはこういう風景があとどれくらいあるのだろう。 この星にはどれだけの血が流れどれだけの命が尽きているのだろう。 なぜそこまでして殺し合いをするのだろう。なぜ僕達はその戦いに参加せずに、間抜けに生き延びているのだろう。 しかし道徳によって“命の大切さ”を意識しているからこそ「それを奪ってやろう。」と思うのだとしたら…命の大切さが分からない奴なんてこの世にいないと思うんです。 いっぺんにいろんな事を感じ過ぎて、複雑な気持ちでした。 知ってはいたけど目を向ける事もなかった事実。ただこの国に、この時代に生まれただけで避けて通った道。 疎かにしてはいけないと思いました。 分からないのは“生の実感”。僕にも分かるようで、分からない。それが分かった時全てが許せる気がする。 PR |
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